いままで いろんな 宗教の本を読んで来たが 宗教と日常の不連続性指摘する作者が 多かった。この本の著者 カーラパワーさんは コーランを知るためにモハンマドアクラムナドウィー師と対話を始めるが 信仰と日常の 不連続性について 文化的な衝撃を受け悩み始める。自分の悩みについてこの本の序章に正直に書かれている。
私は思った。今までも 信仰と日常の不連続性について 沢山の人が悩んだり指摘したり説明したりしていたことに 気づいた。作者本人が気づかないまま 書いている人、意図的に物語を作って 説明をするひとも いた。 と 思った。
あらためて箇条書きにする
- 科学と宗教と死 集英社新書 加賀乙彦
- 最後の親鸞 ちくま学芸文庫 吉本隆明
- 科学者はなぜ神を信じるか BULE BACKS 集英社 三田一郎
- ブッダからほとけへ 岩波書店 立川武蔵
- 大乗非仏説をこえて 大乗仏教はなんのためにあるのか 国書刊行会 大竹晋
- 科学化する仏教 角川選書 碧海寿広
- わたしの信仰 新教出版社 アンゲラ・メルケル
- 世親 講談社学術文庫 三枝充悳
- 科学の終焉 ジョンホーガン 徳間書店
- 涅槃経を読む 講談社学術文庫 田上太秀
- 倶舎 自照社出版 青原令知
- エチカ 岩波文庫 スピノザ
- 龍樹 講談社学芸文庫 中村元
上記の本について 難解でほとんど読み切れていない。
またアーナンダの 逸話 ウィキペディアより引用
出家後、釈迦が死ぬまで25年間常に近侍し、身の回りの世話も行っていた。そのため釈迦の弟子の中で教説を最も多く聞きよく記憶していたので「多聞第一」といわれ、第1回の仏典結集には彼の参加が望まれたが、当時結集への参加資格であった阿羅漢果を未だ得ていなかったので、釈迦の後継者であった摩訶迦葉(まかかしょう)は、阿難の参加を認めなかった。そのため彼は熱誠を込めて瞑想修行を続け、あるときその疲れから寝具に倒れ込んだ拍子に忽然と悟り、ついに阿羅漢果に達したという。ときに仏典結集当日の朝のことであったという。
も 信仰と日常の不連続性の 一つの現象として捉えることが出来ると思う。
さらに 無常は日常の頭で理解できるが 空は なかなかピント来ない。 詭弁で説明している本もあるが 嘘をついているように 思えてしまう。
これからだ。
不連続性を超えたいのか、超えたくないのか、不連続の向こうをしることによって乗り越えられるのか、乗り越えるために誰かの助けがいるのか、自分でできるのか、 瞬間的に変わるのか ゆっくり変わるのか、乗り越えたと意識するのか それらは わからない。
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