メルケルさんの演説集の中で聖書マラキ書三章第五節の引用
p66
この言葉の中に、わたしたちはふたたび、旧約の預言の宗教的倫理的な真剣さを感じ取ります。この世界、そしてこの歴史において神がおられないことを嘆き、批判するものに対して、預言者マラキは誤解の余地なく次のように言います。人間であるお前が神を裁く前に、自分自身と自分のしたことを見よ。 ーーーそして自分を吟味するのだ!マラキの言葉ではこうなっています。「わたしはあなたの方のところへ裁きのためにきて、魔術師、不実な者、偽証をする者、日雇いややもめや孤児に対して暴力や不正を行う者、外国人を虐げるものに対して罪をすばやく暴き、何も恐れないだろう、と万能の主は言われる」
旧約の中身は結構具体的で紀元前にこんなことをいう人がいたなんて。とても驚きだし、それを現代の政治に照らし合わせて考えるメルケルさんにも驚きだ。
2019年11月26日火曜日
2019年11月25日月曜日
本 わたしの信仰 キリスト者として行動する
アンゲラ メルケル フォルカーレイジング編 松永美穂訳 新教出版
この本はキリスト者 ドイツ連邦の首相 メルケルさんの 講演集 だ
メルケルさんは 聖書をよく読み考え理解を繰り返している。それに基づく信念を持って
政治家 首相として働いている。態度は謙虚で政策は柔軟。ときに楽観的。
政教分離と叫んでいる人や人の言うことに耳を傾けない政治家には 是非読んでもらいたい。
この本はキリスト者 ドイツ連邦の首相 メルケルさんの 講演集 だ
メルケルさんは 聖書をよく読み考え理解を繰り返している。それに基づく信念を持って
政治家 首相として働いている。態度は謙虚で政策は柔軟。ときに楽観的。
政教分離と叫んでいる人や人の言うことに耳を傾けない政治家には 是非読んでもらいたい。
2019年11月15日金曜日
本 草木成仏の思想 安然と日本人の自然観 末木文美士著 サンガ文庫
第一章のおわりに こんなことが書かれている。
p18 勝手なイメージだけで仏教思想や「日本古来の思想」が論じられるのでは、言いたい放題できわめて歪められた観念をまき散らすことになりかねない。それが独善的な日本賛美につながるとしたら、きわめて危険なことであり、実際、私たちは過去にそのような苦い経験を持っている。過去の思想をきちんと文献に基づいて解明していくことは、伝統に根差した本物の思想を築いていくために、もっとも重要なかだいである。
まき散らしているのは美しい日本と言っている首相のことかいな。
p18 勝手なイメージだけで仏教思想や「日本古来の思想」が論じられるのでは、言いたい放題できわめて歪められた観念をまき散らすことになりかねない。それが独善的な日本賛美につながるとしたら、きわめて危険なことであり、実際、私たちは過去にそのような苦い経験を持っている。過去の思想をきちんと文献に基づいて解明していくことは、伝統に根差した本物の思想を築いていくために、もっとも重要なかだいである。
まき散らしているのは美しい日本と言っている首相のことかいな。
2019年11月7日木曜日
本 東アジア仏教史 石井公成著 岩波新書
第八章 仏教統制と檀家制度
キリシタン 島原の乱
日本人全員が特定の宗派の寺に属する
諸宗寺院法度
第八章 客観的仏教学と仏教批判 の 節
江戸時代の仏教に関係したことが 書かれていて、身近な仏教が日本でどんな風になっているのかがわかりやすく書かれている。
ここに書かれている キーワード を 並べてみる。
朝鮮朱子学儒者の林羅山 の聖徳太子に 論難
荻生徂徠 激しい聖徳太子批判 古代の儒学 中国と日本の違いを言葉の分析で
富永仲基 仏教や儒教について客観的な研究 新しい説はそれ以前の説を凌駕しようとするという「加上」の原理 出定後語1745年 同じ仏教でも天竺、中国、日本の国民性を反映して異なっている。
本居宣長から平田篤胤 仏教を異国のけがれた教え 大乗経典は釈尊の説でない 国学者
水戸藩主水戸光圀 朱子学 仏教批判 領地内の寺院整理 神仏混淆を禁じる 廃仏毀釈へ
庶民の仏教信仰 江戸の浅草寺 大坂の四天王寺 名古屋の大須観音 境内や周囲の芸能 仏教を冗談の種にした見世物
そのあと明治から太平洋戦争についての日本の仏教については
本 禅と戦争 禅仏教の戦争協力 ブライアンアンドレ―ヴィクトリア著 エイミールイーズツジモト訳 えにし書房 が 参考になる。
現代の仏教については ひとそれぞれ。キリスト教とイスラムの対立 戦争 や 暴力の 現実 から 分かりにくい仏教に 救いを求めたり 仏教の修行や考え方に 解決策を見出そうと する ことが 流行っている。 瞑想、マインドフルネス、唯識、禅、ヨーガなど。 いずれは流行は下火になる。ブッダは自分で考えよと 言っている。
キリシタン 島原の乱
日本人全員が特定の宗派の寺に属する
諸宗寺院法度
第八章 客観的仏教学と仏教批判 の 節
江戸時代の仏教に関係したことが 書かれていて、身近な仏教が日本でどんな風になっているのかがわかりやすく書かれている。
ここに書かれている キーワード を 並べてみる。
朝鮮朱子学儒者の林羅山 の聖徳太子に 論難
荻生徂徠 激しい聖徳太子批判 古代の儒学 中国と日本の違いを言葉の分析で
富永仲基 仏教や儒教について客観的な研究 新しい説はそれ以前の説を凌駕しようとするという「加上」の原理 出定後語1745年 同じ仏教でも天竺、中国、日本の国民性を反映して異なっている。
本居宣長から平田篤胤 仏教を異国のけがれた教え 大乗経典は釈尊の説でない 国学者
水戸藩主水戸光圀 朱子学 仏教批判 領地内の寺院整理 神仏混淆を禁じる 廃仏毀釈へ
庶民の仏教信仰 江戸の浅草寺 大坂の四天王寺 名古屋の大須観音 境内や周囲の芸能 仏教を冗談の種にした見世物
そのあと明治から太平洋戦争についての日本の仏教については
本 禅と戦争 禅仏教の戦争協力 ブライアンアンドレ―ヴィクトリア著 エイミールイーズツジモト訳 えにし書房 が 参考になる。
現代の仏教については ひとそれぞれ。キリスト教とイスラムの対立 戦争 や 暴力の 現実 から 分かりにくい仏教に 救いを求めたり 仏教の修行や考え方に 解決策を見出そうと する ことが 流行っている。 瞑想、マインドフルネス、唯識、禅、ヨーガなど。 いずれは流行は下火になる。ブッダは自分で考えよと 言っている。
2019年11月5日火曜日
本 東アジア仏教史 石井公成著 岩波新書
再び 日本文学と無常について
私たちが 中学の国語や高校の古文で習う作品について
「p219 鎌倉時代の文学と芸能は鴨長明『方丈記』、その『方丈記』を引用する『平家物語』を語った琵琶法師をはじめとして、ほとんどが仏教色の濃いものだった。武士から僧に転じた西行の歌集にしても種々の軍記物語にしても、仏教の影響が強く、無常の情緒に染められていた。」
その通り だと 思う。 聖、法師 は 私には あわれとかなさけとかを 教えてくれる 僧 と 思ってしまっている。 文学にはその気分満載だ。 しかし、無常には あわれ や なさけ という 感情が入り込む余地はない。有無をうわさず つね ならぬ のである。 引用
「思想のゼロポイント 魚川祐司著 新潮社 のp64
さて、そのような瞑想センターの一つで国際的にも非常に有名な大規模森林僧院を訪ねた時に、とても印象的な経験をした。そこで、既に七年以上も滞在している、古株の日本人僧侶がいるというので挨拶に行ったところ、彼が私に対して開口一番に、「ここで瞑想しても人格はよくなりませんよ」と言ったのである。」
私たちは 仏教を あわれとかなさけという情緒を持った宗教や教えと思ってしまっている。 仏の情けとか 武士の情けとか ものあわれを感じるとか 普通に使っているが そういう 感情は釈迦の教えからくるものではなく 日本の仏教からくる感情なのだ。
私たちが 中学の国語や高校の古文で習う作品について
「p219 鎌倉時代の文学と芸能は鴨長明『方丈記』、その『方丈記』を引用する『平家物語』を語った琵琶法師をはじめとして、ほとんどが仏教色の濃いものだった。武士から僧に転じた西行の歌集にしても種々の軍記物語にしても、仏教の影響が強く、無常の情緒に染められていた。」
その通り だと 思う。 聖、法師 は 私には あわれとかなさけとかを 教えてくれる 僧 と 思ってしまっている。 文学にはその気分満載だ。 しかし、無常には あわれ や なさけ という 感情が入り込む余地はない。有無をうわさず つね ならぬ のである。 引用
「思想のゼロポイント 魚川祐司著 新潮社 のp64
さて、そのような瞑想センターの一つで国際的にも非常に有名な大規模森林僧院を訪ねた時に、とても印象的な経験をした。そこで、既に七年以上も滞在している、古株の日本人僧侶がいるというので挨拶に行ったところ、彼が私に対して開口一番に、「ここで瞑想しても人格はよくなりませんよ」と言ったのである。」
私たちは 仏教を あわれとかなさけという情緒を持った宗教や教えと思ってしまっている。 仏の情けとか 武士の情けとか ものあわれを感じるとか 普通に使っているが そういう 感情は釈迦の教えからくるものではなく 日本の仏教からくる感情なのだ。
2019年11月2日土曜日
本 東アジア仏教史 石井公成著 岩波新書
p182~183
日本仏教の文学への影響 の 節
万葉集 古今和歌集 と 私の知っているものが 出てくる。 仏教の 無常 は 万葉集のなかで 情緒的に とらえられている。
これは 現代まで続いている。 また 家族への 愛情 も 2種類の仏伝で大きく異なる。親孝行 忠義 慈悲 仁。と日本では入り交じっている。現代まで引きずっている。
日本仏教の文学への影響 の 節
万葉集 古今和歌集 と 私の知っているものが 出てくる。 仏教の 無常 は 万葉集のなかで 情緒的に とらえられている。
これは 現代まで続いている。 また 家族への 愛情 も 2種類の仏伝で大きく異なる。親孝行 忠義 慈悲 仁。と日本では入り交じっている。現代まで引きずっている。
登録:
投稿 (Atom)