2019年11月5日火曜日

本 東アジア仏教史 石井公成著 岩波新書

再び 日本文学と無常について

私たちが 中学の国語や高校の古文で習う作品について
「p219 鎌倉時代の文学と芸能は鴨長明『方丈記』、その『方丈記』を引用する『平家物語』を語った琵琶法師をはじめとして、ほとんどが仏教色の濃いものだった。武士から僧に転じた西行の歌集にしても種々の軍記物語にしても、仏教の影響が強く、無常の情緒に染められていた。」

 その通り だと 思う。 聖、法師 は 私には あわれとかなさけとかを 教えてくれる 僧 と 思ってしまっている。 文学にはその気分満載だ。  しかし、無常には あわれ や なさけ という 感情が入り込む余地はない。有無をうわさず つね ならぬ のである。  引用 
「思想のゼロポイント 魚川祐司著 新潮社 のp64
 さて、そのような瞑想センターの一つで国際的にも非常に有名な大規模森林僧院を訪ねた時に、とても印象的な経験をした。そこで、既に七年以上も滞在している、古株の日本人僧侶がいるというので挨拶に行ったところ、彼が私に対して開口一番に、「ここで瞑想しても人格はよくなりませんよ」と言ったのである。」

 私たちは 仏教を あわれとかなさけという情緒を持った宗教や教えと思ってしまっている。 仏の情けとか 武士の情けとか ものあわれを感じるとか 普通に使っているが そういう 感情は釈迦の教えからくるものではなく 日本の仏教からくる感情なのだ。 

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