藤原隆子 氏の 末の解説 秘仏とはなにか
p119 このようなに形姿は霊験とは本質的な関係はない。霊験というのは語られるものなのだ。
なるほど。 霊験を誰かが語り継いで、守っていく。隠しても 語るものなので守れるということか。 霊験を守るというのは信じているということ、信仰そのものか。なるほど。
藤原隆子 氏の 末の解説 秘仏とはなにか
p119 このようなに形姿は霊験とは本質的な関係はない。霊験というのは語られるものなのだ。
なるほど。 霊験を誰かが語り継いで、守っていく。隠しても 語るものなので守れるということか。 霊験を守るというのは信じているということ、信仰そのものか。なるほど。
仏教の年表を表示します。
独断と偏見で叱られそうだが 私の想像です。
最澄は比叡山で日本天台を開いた。 一切が菩薩であり、一切が成仏できる。という円教思想。密教の振る舞い。大乗戒。達磨大師の禅。 浄土にジャンプ。 を 中心にすえるのが 日本天台。
それまでの鎮護国家のための仏教から 個人を救済する仏教へと変化していく。
ブッダの仏教は 具足戒、出家 比丘が阿羅漢になるためにひたすら瞑想。食料確保のため托鉢、お礼に説法、在家の悩みを聞く。 そのために ひたすら三昧。セックスはしない、酒はのまない。
その仏教が 日本天台では 国家を救う、個人を救う に 変化している。
個人の阿羅漢を目指すことが しっかり確立していた仏教。 しかし、比丘の数が足りなくなって具足戒をすて 大乗戒を採用せざるをえなくなった。 そして 最澄は日本天台を作った。円仁が唐へ渡り 具足戒ができる比丘を確保しようとしたが、できなかった。
『入唐求法巡礼行記』に その辺の事情が書かれている。
遣唐使派遣はなくなり、それ以後 大乗戒を続けざるを得なくなった。そして 日本独自の仏教が歩み始める。 それまで日本各地にあった中国仏教の中心的信仰の対象である観音 は 古臭くなり 秘仏となっていく。空海の密教の追い打ちをかけ 大日如来や不動明王などに変わっていく。
集まる僧侶も比丘ではない。ひたすら瞑想に励むわけではない。目的が阿羅漢ではなく、個人を救うこと。 以上のことから 、比叡山を出ざるを得なくなる。
法然、親鸞、栄西、道元は 最澄・日本天台の流れをくんでいる。
遣唐使を中止、円仁が比叡山に戻って 以後 日本仏教は大きく変わったように見える。
それ以前の仏教 大乗仏教ではあるが 仏教を政治利用 鎮護国家の思想の中核をなす。
それ以後 大乗仏教ではあるが 信仰の対象として仏教 個人的な信仰への逃避場所を仏教にもとめ 文化芸術も日本独自のものが発達していく。
私はなぜ転換しなければならなかったか、政治と宗教の 両面を 見ると わかるのでは 無いかと見当をつけている。
とりあえず 歴史的に超有名な出来事を 年代順にならべて ながめる。今日は 転換点までの出来事を並べてみる。
大乗仏教がなぜ生まれそれまでの仏教となぜどこが違い 、違いがなぜ生まれたのか 明確に書かれている。
p103
三・十五 仏教では信仰に役割はあるのか? あるとしたらどんな役割か?
この質問に対するシンプルな答えは「ある」である。もちろん、仏教の修行には信仰心がともなう。しかしそれよりも、仏教徒が信仰をどのように理解しているのかをはっきりさせることが重要だ。古い仏典には一般に「信心」と訳されるパーリ語およびサンスクリットの単語がいっくつか見られるが、それらを仏教で最もよく知られ最も強調される概念だと主張する人はいないだろう。それでも、信心が果たす役割はとても重要だ。仏典における「信心」という単語の最も重要な意味は、教えの実践への積極的な関与、あるいは献身である。この種の信心は修行を開始する継続する動機づけに不可欠だ。仏教の学習や修行がなんらかのかたちで役立つという確信が持てない場合も、心配することはない。覚悟を決め、規律ある方法で教えに従うには、信心のような献身的は行為も必要になる。そのため、仏教徒は早い段階から新人が修行に欠かせない要素であることを理解していた。
のちの仏教徒は仏教徒としての第一歩が最も重要な段階だと認識を強調した。彼らはそれを「悟りの思考」あるいは「悟りへの願望」と呼んだ。悟りに大きな可能性があると考えてない人や、悟りをひらいた人生がどのようなものかを想像できない人は、前進する意欲や能力を欠いている。追及する価値があるという強い思いがない限り、人がその対象に向かって努力することはない。悟りに対してそのような考えを持つことが出来れば仏教徒としての第一歩を踏み出せる。。。。。。。
三・十六 大乗仏教とそれ以前の仏教を区別する教えは何か?
仏教の実践方法の多様性については、仏教そのものと、同じくらい長い歴史がある。地域差だけでなく、言語、経済体制、階級、先行する宗教から受け継いだものの違いなども、ダルマの理解に影響を及ぼした。だが、紀元前一世紀ごろに、顕在化したと思われる実践方法の違いが仏教内の根本的は分裂として表面化することになる。そして仏教を理解し修行するための初期の方法に対して一部の比丘たちが浴びせた批判が上座仏教(小乗仏教)とは大きくことなる「大乗仏教」と呼ばれる運動を引き起こした。大乗仏教の教えは、仏教が中央アジアや東アジアなどに広がるにつれて、紀元後の数世紀のあいだにインドなどで発展した。ここでは大乗仏教に見られる八つの新機軸について見てみよう(そのうちのいくつかは、この後の節でさらに詳しく取り上げることにする。)。。。。。。。。。。
ーーーーーーーこのあと 宇宙観 菩薩道 慈悲の誓い(個人的な悟りから悟りが衆生の権利と考える) 乗り物 無常縁起無我の拡大解釈としての空性 方便 律の変化 出家と在家の違いの重要性の減少 仏性 が 述べられていく。ーーーーーーーーー
引用が長くなりましたが ここは 日本の大乗仏教を考えるうえで 重要なところなので、ぜひ本文をゆっくり読んでほしいです。
日本語で書かれていないお経 中国語やパーリ語、サンスクリット語で書かれている。口伝で伝わるお経 。ましてブッダ自身の著作物はない。 いろんな研究で 仏教の理解が深まり、仏教自身も変化していきます。 おわりがありません。