読み進めるに従って 嫌になってきた。 言った言わない。書いてあるが解釈が異なる。男が悪い女が悪い。 キリスト教 イスラームともに 歴史が浅いからなのだろうか。仏教ではとっくに解決済みのことを ぐうたら言っているのではないかと 思えてきた。
仏教では 比丘サンガと比丘尼サンガが 別れている。 アーナンダがブッダに必死に頼んで 比丘尼サンガを作ってもらった。
マハーパジャーパティー: 最初の比丘尼 単行本 – 2015/9/10
ショバ・ラニ ダシュ (著), Shobha Rani Dash (原著), 福田 琢 (翻訳)
この本にその経緯が詳しく書いてあります。 ブッダは 愛欲を消すことはできない。愛欲が大きくなると 真理を追求することができないと 考えていたようだ。 だから 比丘サンガと比丘尼サンガをわけて 作った。 男が優位とか女が優位とか、差別するとか そんな 考えは毛頭なく、愛欲の強さから 出家者を 開放するために分けたのだと 思われる。 日本に伝わった大乗仏教では いつの間にか 男性優位になってしまっている。年貢、税金の取り立てが世帯単位であったためそうなってしまっているのかもしれない。 一方、日本の寺では 坊さんは女好き、稚児好き、同性愛者が 当たり前の様に考えられていたようにも思う。
紆余曲折はあったが 日本は概ね男女を差別して考えることはなく また 愛欲すら 否定はせず、 必要なもの と している。 キリスト教やイスラームとは 全く違う。
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