仏教学には 考古学的な学問と 宗学という 2つの分野があります。 この本の 刊行にあたってという まえがきに 内藤知康先生が龍谷大学の文学部宗学科で開講されている 真宗学概論 を と書いてあります。 この本は 宗学の本なのです。
最近は仏教の考古学的な発見が多く学問が変化しています。
宗学もどうなることやら。
仏教学には 考古学的な学問と 宗学という 2つの分野があります。 この本の 刊行にあたってという まえがきに 内藤知康先生が龍谷大学の文学部宗学科で開講されている 真宗学概論 を と書いてあります。 この本は 宗学の本なのです。
最近は仏教の考古学的な発見が多く学問が変化しています。
宗学もどうなることやら。
空は理解できないがもし空という考え方を定義づけしてしまえば 実際の世界 色の世界と同じ思考経路で考えてもよいかもしれない。
高校2年で習った虚数を思い出してほしい。2乗したときー1に等しくなるような数は、もし存在するとすれば実数の外の世界にあるははずである。として想像上の数iが考え出された。そして文字式と同様に計算ができ、i2乗が現れたらー1に置き換えると約束しておいた。
物事が色の世界で法にもとづいて起こっている。空の世界を定義することによって物事が空の世界で法にもとづいて起こっている。 色の世界と空の世界を行き来するのは 色即是空 空即是色という定義である。
そのように空を理解すればよいのではないか。空の世界があると定義してしまえば 簡単だ。考えても答えはでない。そのように考えると便利だから空の世界を定義したのだ。
布教活動で見られる悪いパターン
1脅す
2存在するはずもない奇跡を見せつける
3力をそいで全く抵抗できない考えることができない状態に対象者をしてしまう
4全くの知的障害者
5快楽金銭欲などの欲求を満たし続ける
6だまし続ける
1〜6の状態に人間をおとしめればたやすく神を信じさせることが出来る。あるいは神におすがりする。
しかし1〜6の状態にしないのが良いではないか。
1〜6は人間が人間にしてしまうことができるものではないか。人間がやってはいけないことではないのか。
知人が貸してくれた。本だ。仏教の歴史、特に大乗仏教とテーラワーダ仏教の違いが明確に書かれている。
更に 日本特有の 考え方とその危うさが書かれた箇所がある。
p26-p27
「頂きは一つ」ではない
日本の仏教ではよく 宗派は違っても めざす山の頂は一つ などと言って根本部分の共通性を強調します。、、、、、、、、、、、
これは仏教宗派はに限らず日常偉そうな誰かさんが悟ったような顔をして言っていますね。
気をつけないといけませんね。 違う意見をむりやり無視して自分の考えに引き込んでしまうことに利用されたりします。どうしても統一の理論があるのではないかと思ってしまうことがありますね。 反省です。自分はそんなに偉くはないのです。