2025年3月17日月曜日

本 曽我量深 真宗大谷派教学研究所編

 個人の書いた本ではない。教学という宗派をたたえるところが編者。疑問を追究するというより 大先輩の偉業をたたえるために書かれている。まあそんなもんです。学問ではありません。

2025年3月15日土曜日

過去帖の現物

 


こんなものです。浄土宗の僧侶のものです。表には家の名前が書いてあります。檀家回りしやすいように日付ごとにまとめられています。亡くなられた方の名前と法名死亡年月日が書かれています。これをみて過去帖の意味がわかりました。6年前のことです。

2025年3月11日火曜日

井上陽水 心もよう

 歌は世につれ世は歌につれ と 高橋圭三が言っていたような。

さて 心もようという陽水の歌を聞いていてふと思った。 都会では、、、、は大乗仏教

いかなくちゃ君の家にいかなくちゃ は小乗仏教。 

それまで 若者たち 風に吹かれて などいわゆる プロテストソング全盛だったが 心もようの ヒットで 一変した。五輪真弓の恋人よ 少女  さらに進んで吉田拓郎の結婚しようよ 神田川 岬めぐりへと突き進む。

 歌は大上段に構えることはなくなった。個人の感情を歌い上げることが ほとんどになってしまった。 インターナショナルも歌われなくなった。 まあそんな もんでした。

2025年3月8日土曜日

わからないこと

 考えても考えてもわからないこと

例えば死後の世界があるかないかどうなのか ということは 勝手に説明する必要はない。言っても証明できない。それなら分からないと しておいたほうが正直だ。嘘がない。角野隼斗がHumanUniverseと言っているがそれが証明できるわけではなくあくまでわからない領域だ。わからないとしておいたほうが良い。後でまた変わるかもしれない。

四門出遊

 四門出遊 大乗仏教の死 はあるべき姿を描き悲しいものだと説く。そして悲しい心を ああでもないかこうでもないかと救うように働きかけてくる。一方他の仏教では 人ではどうしようもないことまして感情なんて変化するし人が勝手に思っていることだと説く。 ここが大きな違いだ。 と 私は思った。

死と気持ち

 生き物が死ぬのは当たり前。どう感じるか。大乗仏教では 悲しい 悲しむべき

。何やかやと難しい理論を立てて悲しむべきと思わせてしまうのだ。

小乗仏教では人の感情はどうでも良い。悲しいもあれば ほかの事を考えていることもある。例えば棺桶を落とさないように気をつけているときは 悲しいとは思っていない。つまり人の心は変化するしどうでも良いことなのだという。

そこが大乗仏教と小乗仏教の違い。

間違っていたらごめんなさい。

2025年3月5日水曜日

阿羅漢になったと自分で言いふらしていけない

 どの経に書かれているかはわからないが 自分が阿羅漢になったことを 自分で言いふらしてはいけない。と書かれている。

もっともだと思う。阿羅漢となったことは後世の人が決めることであって その時代の人がわかるはずもない。

現代においてご自身が正しいと思ったり言いふらしたり多いのは なぜでしょう。