浄土真宗は日本独自の宗教です。ほとんどの仏教とはまるっきり違う。結婚はする。子どもは作る。剃髪はしない。仏壇は金ピカ。先祖を敬う。他力本願、阿弥陀様の言う通り。
門前の小僧習わぬ教を読むとあるが 無理無理。
まあそんなもんです。
浄土真宗は日本独自の宗教です。ほとんどの仏教とはまるっきり違う。結婚はする。子どもは作る。剃髪はしない。仏壇は金ピカ。先祖を敬う。他力本願、阿弥陀様の言う通り。
門前の小僧習わぬ教を読むとあるが 無理無理。
まあそんなもんです。
医師をしているとき梅田開催のスズケン文化講座を聴く機会があった。脳科学者と仏教学者の対談であった。便宜上 情報という言葉を使って その考え方伝わり方のことについての脳科学者と仏教学者の対談であった。2人は方法論が違うが 考え方の方向性は似ているという結論になった。
その後京都開催のNHK文化講座の佐々木閑先生の講座を3年間聴くことなった。
日々の努力は あり得ない 想定外 を なくすこと。
つまり 神様の仕業をなくすこと。つまり 神様を知ること。言い換えれば科学。
わかりきったことだが 単に言葉を言い換えただけです。
アマチュアは いろんなことに接する機会が多いので 思わぬ発見があるメリットがある。
さて 論は 経についてはじめてのプロが書いたもの 定理にあたる。
経は その宗派では絶対的なものとして変えてはいけないもの。公理にあたる。
仏教には 論や経 のほか 戎 がある
これは 正しいかどうか証明のしようがないが かなり絶対的なもので これを守らないことには 仏教徒ではない つ言うことになる。 守らなければ他の宗教ということになる。
さて アマチュアである。 冒頭にあげたメリットがある一方 してはいけないことがある。論を論じること 経や論を単なる知識として見せびらかすことだ。そんなことをすると 世の中 何が良いのか悪いのか 分からなくなるのだ。
曹洞宗のことを知ろうと思った。曹洞宗の僧侶の話も聞ける。せっかくの講座があるのでいそいそと長野市に出かけた。
まず僧侶は墨染めの服をきているので お金持ちかどうかわからなかった。けれどとてもえらそうにしている。話も自慢話。講師竹田恒泰氏の話も自慢話と一方的な見方の価値観。自分が正しいを思っているらしい。だから とっても熱のこもった話だった。子供むけの小冊子 第三章受戒入位から の部分 でも 5戒からはかけ離れている。悪いことはしない、良いことは進んでする。みんなのためになることをするとなっている。あいまいだ。悪いことはだれが判断するの? よいことはだれが判断するの? みんなのためになるかためにならないか誰が判断するの? あいまいなことを子供に押し付けていると 子供は迷う。 えいやっとやってしまいそうだ。考えない。あーあ。
その点5戒は明確だ。殺してはいけない。嘘をついてはいけない。など。
曹洞宗のいいこともある。掃除をする。粗食である。禅をする。 どうでもよいことと思ってはいけない。それらを毎日実行していると だんだんと身も心もすっきりしてくるような気がする。
日本史研究会総会大会の議論の中からヒントを得た。戦国の争いの中から農家を守ってくれる存在として寺があったのではないか。そのために寺を盛り立てた。寄進した。
と 考えるに私は至った。
筆者 開発僧の定義に苦しんでいるようだ。
上座仏教の考え方が しっかりわかっていないところに起因している。 開発という社会的な行動をとること自体すでに上座仏教から逸脱し 大乗仏教的になっている。
僧について 慈悲深い、カリスマチック 聖なる人物と
書いた箇所があるが 僧がこうなること自体が 上座仏教の修行者から外れているのだ。カリスマチックと例え思われたとしても サンガでの修行によって 身についたものであって 自慢することはないし 元から備わっていたものではない。人格が問題ではなく 教えの中身が問題なのだ。 それを 筆者は理解していないように 私は思う。
であるから この本は 上座仏教の僧が なぜ大乗仏教的な考え方になるのかと言う 題に変えた方が良いかもしれない。