2020年7月17日金曜日

本質について

中国共産党は 指導 が 社会主義の 本質 と 言っている。(信濃毎日新聞、人民日報)

 本質というのは人間が勝手に決めていることのように思える。数百年にわたりほとんどの人が 認めていることで 変わらない真実のこと。と 定義したところで 所詮 人間が 決めていることで それを定義する定義は何かと問われれば答えようがない。いつまで経ってもキリがつかない。えいやっと決める。色即是空 空即是色。の 論理思考だ。

 
ブッダ教えの本質を探ってみたい。
 1、後の仏伝でも判るように まずは バラモンの上に立ちたいということ。
2、自由に楽しく誰からも束縛されず生きたいということ。
3、2のこと自分以外の人もできるように 人間社会の仕組みを作ること。

2は簡単そうで難しい。 よくにとらわれると自由でなくなる。 たいがいのことは よくを捨てることができるが 性欲は捨てることが出来なかったのではなかろうか。欲が満たされて、なくなったように見えて 自然と湧き上がってくる。そんなものではないだろうか。そこで 性欲が湧き上がらない仕組みを考えた、サンガと律だ。 一方性欲がなくなると子供ができない。つまりサンガを構成する人がいなくなる。したがって教えが途絶えてしまう。だからサンガ以外の結婚して子供を提供する組織在家が必要となる。 そして2重構造の社会がつくられ維持される。 それが 仏教の本質だ。

般若心経の本質を探ってみたい。
 観音菩薩が本質を考えたとブッダが舎利子に伝えている。というのが般若心経の本質だが、般若心経ができた頃にブッタも舎利子もいない。だからブッダとは本質ではかかわらない、新しい 観音菩薩が考えた本質ととらえたほうが素直な考えだ。

日本の浄土教の本質についてかんがえてみたい。
 浄土真宗のお寺の絵や飾りが本質を表しているように思う。来迎図。とにかくお迎えに来てくれる。綺麗なところへ連れて行ってくれる。それが本質。 キューピットのようだが阿弥陀様や観音菩薩だ。

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