2024年11月8日金曜日

論 経 アマチュア

 アマチュアは いろんなことに接する機会が多いので 思わぬ発見があるメリットがある。

さて 論は 経についてはじめてのプロが書いたもの 定理にあたる。

経は その宗派では絶対的なものとして変えてはいけないもの。公理にあたる。

仏教には 論や経 のほか 戎 がある

これは 正しいかどうか証明のしようがないが かなり絶対的なもので これを守らないことには 仏教徒ではない つ言うことになる。 守らなければ他の宗教ということになる。

さて アマチュアである。 冒頭にあげたメリットがある一方 してはいけないことがある。論を論じること 経や論を単なる知識として見せびらかすことだ。そんなことをすると 世の中 何が良いのか悪いのか 分からなくなるのだ。

2024年11月6日水曜日

曹洞宗第68回禅文化講座を聞きに行った

 曹洞宗のことを知ろうと思った。曹洞宗の僧侶の話も聞ける。せっかくの講座があるのでいそいそと長野市に出かけた。

まず僧侶は墨染めの服をきているので お金持ちかどうかわからなかった。けれどとてもえらそうにしている。話も自慢話。講師竹田恒泰氏の話も自慢話と一方的な見方の価値観。自分が正しいを思っているらしい。だから とっても熱のこもった話だった。子供むけの小冊子 第三章受戒入位から の部分 でも 5戒からはかけ離れている。悪いことはしない、良いことは進んでする。みんなのためになることをするとなっている。あいまいだ。悪いことはだれが判断するの? よいことはだれが判断するの? みんなのためになるかためにならないか誰が判断するの? あいまいなことを子供に押し付けていると 子供は迷う。 えいやっとやってしまいそうだ。考えない。あーあ。

その点5戒は明確だ。殺してはいけない。嘘をついてはいけない。など。

曹洞宗のいいこともある。掃除をする。粗食である。禅をする。 どうでもよいことと思ってはいけない。それらを毎日実行していると だんだんと身も心もすっきりしてくるような気がする。


2024年10月13日日曜日

江戸期に寺が税金取り立てマシンとなってしまったのはなぜか

 日本史研究会総会大会の議論の中からヒントを得た。戦国の争いの中から農家を守ってくれる存在として寺があったのではないか。そのために寺を盛り立てた。寄進した。

と 考えるに私は至った。

2024年10月10日木曜日

本 「開発」を生きる仏教僧 岡部真由美 著 風響社

 筆者 開発僧の定義に苦しんでいるようだ。

上座仏教の考え方が しっかりわかっていないところに起因している。 開発という社会的な行動をとること自体すでに上座仏教から逸脱し 大乗仏教的になっている。

僧について 慈悲深い、カリスマチック 聖なる人物と

書いた箇所があるが 僧がこうなること自体が 上座仏教の修行者から外れているのだ。カリスマチックと例え思われたとしても サンガでの修行によって 身についたものであって 自慢することはないし 元から備わっていたものではない。人格が問題ではなく 教えの中身が問題なのだ。 それを 筆者は理解していないように 私は思う。

であるから この本は 上座仏教の僧が なぜ大乗仏教的な考え方になるのかと言う 題に変えた方が良いかもしれない。

本 「開発」を生きる仏教僧

 岡部真由美 著 風響社

この序章を読んでいると仏教自身については詳しくはないかもしれないと思われる箇所がある。例えば僧は念願をめざすのではなく 阿羅漢をめざす。ベトナムは上座仏教ではなく 中国から伝わった大乗仏教であるなどである。という様に私なりに修正を加えておく。

さて 開発僧の説明が序章で詳細に書かれている。これを見るとタイの上座仏教が大乗仏教に変わっていったのではないかと思わせる。 そこを自分なりに考えてみた。

上座仏教はサンガのメンバーが阿羅漢になるために修行する。そのメンバーは在家からは尊敬され相談を受けている。在家は徳を積む。寄進をする。その見返りに相談事を解決してもらう。 その仕組がだんだんエスカレートしていくと サンガのメンバー自身が相談事を言葉で解決するというより 行動や実質を行うようになってくる。 日本仏教の鎮護国家や個人のご利益になっていた様に見えてくる。 つまり 開発僧は 大乗仏教の僧のように見えてくるのだ。 全体から見ると タイの上座仏教の大乗化だ と 私は考える。

2024年10月8日火曜日

本 「開発」を生きる仏教僧

 本の帯に 現実的課題に取り組むことによって僧侶としてのアイデンティティを構築していく姿から、タイ社会の、上座部仏教の現代的様相を描き出す

とある

岡部真由美著 風響社 2014年2月20日発行


タイ政権はまたしても変わろうとしているが 日本に住む日本人として どうなっていくかは予想もつかないが この帯を見る限り地道に研究をしている 日本人がいるようだ。 片手間の私には 雲の上の著者だ。


2024年10月3日木曜日

五戒と現代の法律

 五戒が作られた頃 日本に仏教が伝わった頃 平安末期の頃 に比べ 日本において法律や憲法により 人権が守られるようになった。五戒にかかれていることで守られるようになったことと そうでないことがあることを 意識しておくのが良い。まず五戒とは

Wikipediaの引用

五戒(ごかい, サンスクリット: pañcaśīla, パーリ語: pañcasīla[3][1])とは、仏教において性別を問わず、在家信者が守るべき基本的な五つの戒(シーラ)のこと。


不殺生戒(ふせっしょうかい, 梵: prāṇātipātāt prativirataḥ[4]) - 生き物を故意に殺してはならない[5]。

不偸盗戒(ふちゅうとうかい, 梵: adattādānāt prativirataḥ[4]) - 他人のものを盗んではいけない[5]。

不邪淫戒(ふじゃいんかい, 梵: kāma-mithyācārāt prativirataḥ[4]) - 不道徳な性行為を行ってはならない[5]。

不妄語戒(ふもうごかい, 梵: mṛṣāvādāt prativirataḥ[4]) - 嘘をついてはいけない[5]。

不飲酒戒(ふおんじゅかい, 梵: surāmaireya-madyapramāda-sthānāt prativirataḥ[4]) - 酒類を飲んではならない[5]。

このどれも 日本の法律に定められてはいるが 守らない人も目立つ。よく報道される。

不殺生 は 当たり前と考えられているが 人間ですら自殺したり 殺人を犯す人は いる。

不偸盗 法律では決まっているが 盗んだり詐欺をする人はたくさんいる。生活困ったり お出されて 盗みを働く人も目立つ

不邪淫 天台宗のお寺で 僧侶が犯したの裁判ざたになっている。 安全であるというお寺でそれがなされたとは 大変重大な罪だ。

不妄語 政治家の多くが嘘つきだと 毎日の報道を見ていてわかる。普段でも法律違反ではなくとも 嘘をつく人はたくさんいる。

不飲酒 これは 法律にはない。 成人は酒が飲める。ただし、不法な薬物はたくさんある。暴力団の資金源になっている。

法令が守られれば不飲酒以外 大体五戒に叶うようになっている。不妄語はいろいろで 解釈が難しい。嘘をつかない事自体が大変難しい。しかし、嘘をつかないと 生活をしてゆくのに楽な感じはする。

日本の法律がキチンと守られれば 五戒が必要ない しいては 仏教など必要ないということになるのかどうかは わからない。