日々の努力は あり得ない 想定外 を なくすこと。
つまり 神様の仕業をなくすこと。つまり 神様を知ること。言い換えれば科学。
わかりきったことだが 単に言葉を言い換えただけです。
日々の努力は あり得ない 想定外 を なくすこと。
つまり 神様の仕業をなくすこと。つまり 神様を知ること。言い換えれば科学。
わかりきったことだが 単に言葉を言い換えただけです。
アマチュアは いろんなことに接する機会が多いので 思わぬ発見があるメリットがある。
さて 論は 経についてはじめてのプロが書いたもの 定理にあたる。
経は その宗派では絶対的なものとして変えてはいけないもの。公理にあたる。
仏教には 論や経 のほか 戎 がある
これは 正しいかどうか証明のしようがないが かなり絶対的なもので これを守らないことには 仏教徒ではない つ言うことになる。 守らなければ他の宗教ということになる。
さて アマチュアである。 冒頭にあげたメリットがある一方 してはいけないことがある。論を論じること 経や論を単なる知識として見せびらかすことだ。そんなことをすると 世の中 何が良いのか悪いのか 分からなくなるのだ。
曹洞宗のことを知ろうと思った。曹洞宗の僧侶の話も聞ける。せっかくの講座があるのでいそいそと長野市に出かけた。
まず僧侶は墨染めの服をきているので お金持ちかどうかわからなかった。けれどとてもえらそうにしている。話も自慢話。講師竹田恒泰氏の話も自慢話と一方的な見方の価値観。自分が正しいを思っているらしい。だから とっても熱のこもった話だった。子供むけの小冊子 第三章受戒入位から の部分 でも 5戒からはかけ離れている。悪いことはしない、良いことは進んでする。みんなのためになることをするとなっている。あいまいだ。悪いことはだれが判断するの? よいことはだれが判断するの? みんなのためになるかためにならないか誰が判断するの? あいまいなことを子供に押し付けていると 子供は迷う。 えいやっとやってしまいそうだ。考えない。あーあ。
その点5戒は明確だ。殺してはいけない。嘘をついてはいけない。など。
曹洞宗のいいこともある。掃除をする。粗食である。禅をする。 どうでもよいことと思ってはいけない。それらを毎日実行していると だんだんと身も心もすっきりしてくるような気がする。
日本史研究会総会大会の議論の中からヒントを得た。戦国の争いの中から農家を守ってくれる存在として寺があったのではないか。そのために寺を盛り立てた。寄進した。
と 考えるに私は至った。
筆者 開発僧の定義に苦しんでいるようだ。
上座仏教の考え方が しっかりわかっていないところに起因している。 開発という社会的な行動をとること自体すでに上座仏教から逸脱し 大乗仏教的になっている。
僧について 慈悲深い、カリスマチック 聖なる人物と
書いた箇所があるが 僧がこうなること自体が 上座仏教の修行者から外れているのだ。カリスマチックと例え思われたとしても サンガでの修行によって 身についたものであって 自慢することはないし 元から備わっていたものではない。人格が問題ではなく 教えの中身が問題なのだ。 それを 筆者は理解していないように 私は思う。
であるから この本は 上座仏教の僧が なぜ大乗仏教的な考え方になるのかと言う 題に変えた方が良いかもしれない。
岡部真由美 著 風響社
この序章を読んでいると仏教自身については詳しくはないかもしれないと思われる箇所がある。例えば僧は念願をめざすのではなく 阿羅漢をめざす。ベトナムは上座仏教ではなく 中国から伝わった大乗仏教であるなどである。という様に私なりに修正を加えておく。
さて 開発僧の説明が序章で詳細に書かれている。これを見るとタイの上座仏教が大乗仏教に変わっていったのではないかと思わせる。 そこを自分なりに考えてみた。
上座仏教はサンガのメンバーが阿羅漢になるために修行する。そのメンバーは在家からは尊敬され相談を受けている。在家は徳を積む。寄進をする。その見返りに相談事を解決してもらう。 その仕組がだんだんエスカレートしていくと サンガのメンバー自身が相談事を言葉で解決するというより 行動や実質を行うようになってくる。 日本仏教の鎮護国家や個人のご利益になっていた様に見えてくる。 つまり 開発僧は 大乗仏教の僧のように見えてくるのだ。 全体から見ると タイの上座仏教の大乗化だ と 私は考える。
本の帯に 現実的課題に取り組むことによって僧侶としてのアイデンティティを構築していく姿から、タイ社会の、上座部仏教の現代的様相を描き出す
とある
岡部真由美著 風響社 2014年2月20日発行
タイ政権はまたしても変わろうとしているが 日本に住む日本人として どうなっていくかは予想もつかないが この帯を見る限り地道に研究をしている 日本人がいるようだ。 片手間の私には 雲の上の著者だ。