2018年8月20日月曜日

あたわり について

野々市の同級生だった寺西くんから 教えてもらった あたわり について 考えてみた。
加賀地方の浄土真宗信者で 使われている
方言 ではないか。
 京都のわたしの 働いていたところは ほとんどが門徒 浄土真宗信者 であるが 一度も あたわり という言葉をきいたことが なかった。家内の両親は 浄土宗の僧侶で 両親からも あたわり という言葉もきいたことがなかった。 ネットで あたわりについて説明している方 は 加賀地方の方言を交えて 説明をしていた。
 だから 門徒 の 加賀地方の方言ではないかとおもった。
 浄土真宗は 親鸞の 南阿弥陀仏ととなえれば浄土に行くことができるという 教えだ。
 法蔵菩薩がすべての人が浄土に行くことができるまで 如来 阿弥陀仏には なりませんという 願い 本願 が その 根本にある。 すべての 人 真理を求めて疲れた人 考える気力もなくなった人 が 浄土に行くことを 願った という ことである。あたわり というのは その浄土にいく 過程 や ほっとして 休憩するテラスのようなところ を さす
言葉なのでは ないだろうか。
 
 使ったことも聞いたこともない 言葉なので
私の想像です。

1 件のコメント:

  1. おはようございます。そうですね、聞いたことないですね、覚えておきます!

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