第二章 第一聖諦ドゥッカの本質
ここで五蘊の話が出てくるが この訳では五集合要素となっている。 感覚 で 目、耳、鼻、舌、身体、心 が出てくる。 私も含めた多くの人は 知覚の”情報”として 表現してしまう。 さらに 情報の流れ あるいは 処理の 仕方を 頭の中で起こっている現象として 考えてしまっている。
しかし この本では ”情報”という言葉は 使わず 話を進めていっている。
なぜか著者、訳者がそうしているかは今のところ分からない。 けれど 五集合要素、五蘊を理解するためには大事なことのような気がする。
脳科学や情報工学では 情報という言葉を普通に使っているが、仏教の教えでは つかわれては いない。
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