不連続性を埋めるために 作者の取った行動。 この本から見えてくるもの。
作者はコーランの教えに基づく生活をおくっているアクラムにたいして、
西欧人のなかで育った作者自身が 憧れをいだいているのがわかる。 一方 アクラムの行動そのものを西欧式の言語のカテゴリーに入れ込もうと考えをめぐらしているようにも見える。
「感謝の念」「寛容」「忍耐」
などなどの 言葉を使用する。
不連続性を埋めるために 作者の取った行動。 この本から見えてくるもの。
作者はコーランの教えに基づく生活をおくっているアクラムにたいして、
西欧人のなかで育った作者自身が 憧れをいだいているのがわかる。 一方 アクラムの行動そのものを西欧式の言語のカテゴリーに入れ込もうと考えをめぐらしているようにも見える。
「感謝の念」「寛容」「忍耐」
などなどの 言葉を使用する。
いままで いろんな 宗教の本を読んで来たが 宗教と日常の不連続性指摘する作者が 多かった。この本の著者 カーラパワーさんは コーランを知るためにモハンマドアクラムナドウィー師と対話を始めるが 信仰と日常の 不連続性について 文化的な衝撃を受け悩み始める。自分の悩みについてこの本の序章に正直に書かれている。
私は思った。今までも 信仰と日常の不連続性について 沢山の人が悩んだり指摘したり説明したりしていたことに 気づいた。作者本人が気づかないまま 書いている人、意図的に物語を作って 説明をするひとも いた。 と 思った。
あらためて箇条書きにする
有名な倶舎論 煩悩に対して良い心を持っている 人に楽を与えるとか苦しみを取り除くとか 慈悲について 論じている
有名なアビダルマ 善い心も悪い心もある と 言っている。
有名な本願 阿弥陀仏になる前の法蔵菩薩は、人が救われなければ 、自分は悟りが開けそうになっても 悟りをひらかないと誓いを立てる。
どれも 善いとか 悪いとか 人に何かする特に慈悲を施すとか 人のために自己犠牲を払うとか、 死んだ後も別の世界に居場所があるとか 述べている。
ブッダの教えは 人のためのものではなく 自分が真理 法を求めて 勉強しろといっているだけ。 人のことを考えるのは お布施や食べ物をもらうときだけ。自分の教えを維持するために 新たに他人を仲間に引き入れるときだけ。 死んでからのことは わからないので 考えない、妄想はしない。 善いとか悪いとかは 人の尺度であって真理 法とは無関係。 酒や性欲は 勉強の邪魔。 人や自分を殺すなど もってのほか。因果を勝手に変えてはいけない。 など と いうのが 私の考えるブッダの教え。
「佛教の秀吉降 下巻佛教の考古学上卷坟誥誥
仏教考古学が示すこととは何か? 伽藍・瓦・塔・板碑・墓標・仏像・ 仏具など多彩な仏教考古学の資料か ら、仏教信仰の歴史を明らかにする
仏教考古学からわかることとは何か? インドや日本の仏教遺跡の発掘調査 や出土した遺物の研究から、 仏教の歴史や人々の信仰を紐解く」
上の引用は本の表紙をスマホを使って googleの新しいOCRが読みといた ものである。
仏教の考古学的な資料の蓄積は すごいものがある。そして 、この方の 収集能力と考察もすごい。この本は2021年11月25日 初版発行である。
一方 最近の 染色体DNA ミトコンドリアDNAの 解析、AIを使った画像解析、 文字データの 検索など、 以前とは比べ物にならないほど 道具が充実してきた。 これからは 今までに蓄積された考古学研究をもとに これらの 技術を駆使しながら さらなる 仏教研究が 発展することが期待される。 いままで 想像でしかなかった 証明しがたい考察が より はっきりと してくるのではないかと期待される。
インドに於いては 仏教のヒンドゥー化 がおこった。 ブラフマン中心のご利益、奇跡が大変人気があり、真理しか言わないブッダの教えに 満足しない大衆がいた。 それに仏教集団が迎合していった。
中国に於いて 同じ頃に起こった仏教と儒教ではあるが、孔子の実利的な教えに 対抗するかのように 、当初は小乗、大乗ともに中国に伝わったものの、救済、慈悲の教えである大乗仏教の人気が高くなった。真理しか言わない小乗仏教は消滅していった。 孔子の教えに対抗するかのように 沢山の宗派できていった。 大乗起信論、天台宗、密教、禅宗などなど、阿弥陀仏、観音、弥勒、などなど、
わたしの 妄想です。
再び 孔子とブッダの違い で 気づいたこと
P102 朝に道聞かば、夕べに死すとも可なり。
とても有名な言葉です。正しいことが行われていたら 死んでもかまわない。と 孔子は言っています。
一方ブッダは道なんて、政治なんて所詮人間の考え出したことだ。 在家から相談を受けた時に 答えれば済むこと。死なん決して自分が決められることではない。死後の世界なんて 考えてわかるものではない。 生老病死の因果の法を 求めることが 重要であって 生き方を考えることはない。 そのように 思えます。
全く違うでしょう。違うというか 次元の 違いのように見えます。孔子は3次元4次元の話。ブッダの話は5次元かもしれません。