この本の序章
興福寺奏状 を 手掛かりに 法然仏教の 特徴を明確にしたい と 書いてある。
さらに 日本仏教の歴史が 書かれている。
仏教の伝来と聖徳太子、奈良仏教、平安仏教 院政期の仏教 そして法然の生涯。
論理の進め方は わかりやすくて よい。
法然が浄土宗を考えた道筋は わかりやすく書かれている。
しかし 仏教全体からみると 片手落ちな気がする。しっくりこない。
仏教伝来より 聖徳太子は仏教を使って政治をすることを明言している。 広隆寺の弥勒菩薩 法隆寺の釈迦三尊、百済観音ぞう など ちょうせんはんとうの仏教と関連が強いことがわかる。 それでも 十七条の憲法には 篤く三宝を敬え、三宝とは仏法僧だと書いてある。①仏 ブッダ ②法 因果の法則 ③僧 サンガ仏教教団 は しっかりと日本仏教に取り入れる 3つで 仏教だと 書いてある。 その後 奈良仏教では鑑真を招いているが サンガが作られた形跡がない。戒を授けられた比丘が 戒を授けていくという規則は無視された。 平安時代、院政期と 天皇や一般人が日本の僧侶となっていった。寺や仏像が作られたが 美術的な価値はあるが 仏教として意味があるかはなんとも言えない。 ブッダの教えを勉強する 出家集団と 出家集団の生活を支え教えを乞う在家の 2重社会 は 実現していない。
法然が浄土宗を考えた道筋の説明に 阿弥陀が 強調されすぎ。法 が もとの因果ではなく 選択肢に利用されている。 法然は日本でいう聖であって 出家した比丘でありえない。 念仏を唱えれば 極楽に往生できる。さらにそこから ブッダになることができる。阿弥陀様がそのように導いてくれる と 考えてしまう。 しかも 末法でこまっているだろう 極楽行の切符が手に入るよ と 言っている。
私はそれが悪いと言っているのではなく もとの 仏教 仏法僧のセット の 姿からは かけ離れているのが 心配なのだ。
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