2019年8月27日火曜日

本 法然と大乗仏教 平岡聡 著 法蔵館

無量寿経 観無量寿経 の ところを読んでいる時に  中国の漢字で日本に仏教が伝わったことが 気になりだした。 漢字は意味がありその意味は人が解釈することによって意味となる。 一方ブッダの時代 ブッダは説法をしたと思うが それは 偈として 人々に伝えられ 弟子が相談して まとめられている。 意味のある文字にしたわけではなく、 同じ発音の偈 で ある。 インドではバラモンは 同じ様に偈として神の意を伝えている。 宗教的な教えを伝えるのは 文字ではなく 偈 であり 勝手に伝える人が 解釈できないようになっている。   漢字で伝わったものと 偈で 伝わったものでは 現在あるすがたは 当然 異なって いる。  法然が考えた浄土宗も 多数のひとの 考えが 混ざって 完成されたもの と 考えられる。  現在の科学論文は実験や観察の結果と 考察は 明確に分けられて書かれている。 人の考察や想像を 事実として 扱うことはできないようになっている。 仏教でも論を論じてはいけないとなっているが、漢字のお経は 書いた人の意が入ってしまう。 しかも 書いた人は ほとんど天才で時代の最先端を行く人に違いない。  現代の凡人には分解することはできない。   だから 法然の教えは 法然の浄土宗として 念仏をとなえるのが 良いのかもしれない。 念仏をとなえたひとが どんな 生き方をしたのか しているのかを みて 自分で 判断することなのかもしれない。

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