2020年3月11日水曜日

円仁が帰国の嘆願書を書き始めたのは

p391 円仁 唐代中国への旅 ライシャワー著
円仁は841年と845年の4年間に、彼自身、功徳使に百回以上も手紙を書き、故国に換えることを許されるように嘆願した。 

 円仁の弟子2人は具足戒を授かったのは840年、 840年に天台宗の文献を手に入れ、841年密教の文献を手に入れていた。その途中で仏教弾圧が起き始めている。 どこまで 密教の文献を手に入れたかはわからない。  弟子2人が具足戒を受けたことで かなり満足していた可能性がある。密教の経典や曼荼羅などは適当でよいと思ったかもしれない。 と わたしは思う。

1 件のコメント:

  1. デジタル版日本人名辞典 より 惟正  813-? 平安時代前期の僧。
    弘仁(こうにん)4年生まれ。天台宗。円仁(えんにん)にしたがって承和(じょうわ)5年唐(とう)(中国)にわたり,惟暁(ゆいぎょう)とともに五台山で具足戒をうけ長安にはいる。14年帰国し延暦(えんりゃく)寺にすむ。伝法師前入唐求法大和尚と称された。貞観(じょうがん)14年(872)2月までの生存が確認される。

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