考えても考えてもわからないこと
例えば死後の世界があるかないかどうなのか ということは 勝手に説明する必要はない。言っても証明できない。それなら分からないと しておいたほうが正直だ。嘘がない。角野隼斗がHumanUniverseと言っているがそれが証明できるわけではなくあくまでわからない領域だ。わからないとしておいたほうが良い。後でまた変わるかもしれない。
考えても考えてもわからないこと
例えば死後の世界があるかないかどうなのか ということは 勝手に説明する必要はない。言っても証明できない。それなら分からないと しておいたほうが正直だ。嘘がない。角野隼斗がHumanUniverseと言っているがそれが証明できるわけではなくあくまでわからない領域だ。わからないとしておいたほうが良い。後でまた変わるかもしれない。
四門出遊 大乗仏教の死 はあるべき姿を描き悲しいものだと説く。そして悲しい心を ああでもないかこうでもないかと救うように働きかけてくる。一方他の仏教では 人ではどうしようもないことまして感情なんて変化するし人が勝手に思っていることだと説く。 ここが大きな違いだ。 と 私は思った。
生き物が死ぬのは当たり前。どう感じるか。大乗仏教では 悲しい 悲しむべき
。何やかやと難しい理論を立てて悲しむべきと思わせてしまうのだ。
小乗仏教では人の感情はどうでも良い。悲しいもあれば ほかの事を考えていることもある。例えば棺桶を落とさないように気をつけているときは 悲しいとは思っていない。つまり人の心は変化するしどうでも良いことなのだという。
そこが大乗仏教と小乗仏教の違い。
間違っていたらごめんなさい。
どの経に書かれているかはわからないが 自分が阿羅漢になったことを 自分で言いふらしてはいけない。と書かれている。
もっともだと思う。阿羅漢となったことは後世の人が決めることであって その時代の人がわかるはずもない。
現代においてご自身が正しいと思ったり言いふらしたり多いのは なぜでしょう。
浄土真宗は日本独自の宗教です。ほとんどの仏教とはまるっきり違う。結婚はする。子どもは作る。剃髪はしない。仏壇は金ピカ。先祖を敬う。他力本願、阿弥陀様の言う通り。
門前の小僧習わぬ教を読むとあるが 無理無理。
まあそんなもんです。
医師をしているとき梅田開催のスズケン文化講座を聴く機会があった。脳科学者と仏教学者の対談であった。便宜上 情報という言葉を使って その考え方伝わり方のことについての脳科学者と仏教学者の対談であった。2人は方法論が違うが 考え方の方向性は似ているという結論になった。
その後京都開催のNHK文化講座の佐々木閑先生の講座を3年間聴くことなった。
日々の努力は あり得ない 想定外 を なくすこと。
つまり 神様の仕業をなくすこと。つまり 神様を知ること。言い換えれば科学。
わかりきったことだが 単に言葉を言い換えただけです。